兵庫県神崎郡市川町、浅野(あさの)。
日照りと闘い、ため池をこしらえ、米をつくってきた村。
その水がいま、「あさの米」を育てています。
浅野は市川の左岸、西小畑の西に位置し、中世には川述(かわのべ)郷に含まれていました。「浅野」の名が記録にあらわれるのは天正7年(1579年)。地名の由来については、確かな記録は見つかっていません。
天正7年9月の「大宮天神社神事次第」——川述郷の総社だった大宮天神社(いまの小畑の天満神社)の祭りの記録に、浅野は獅子舞を受け持つ村として記されています。市川町は今も獅子舞の伝統が息づく町ですが、その四百年以上前の記録に、この村の名があるのです。
江戸時代の正保郷帳は、浅野村に「旱損所(かんそんしょ)・かや山有」と注記しています。日照りの被害を受けやすい土地、という意味です。川に近いのに水に苦しむ——その答えとして、村は山からの水をたくわえるため池をこしらえ、守り続けてきました。
明治22年(1889年)に川辺村の一部となり、昭和30年(1955年)から市川町の大字に。いまの浅野は、ため池「大池」にたくわえた雨水——広葉樹の腐葉土を通ったミネラル豊富な水を、お日さまで温めて育てる「あさの米」の里です。日照りと闘った村の知恵が、四百年をへて、村の誇りになりました。